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Acerca de

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むかし、むかし、呼子は捕鯨が盛んなところでございました。壱岐・対馬は言うに及ばず、平戸・五島・長崎と活発な交流をしとりました。「鯨一頭捕れれば七浦潤う」と言われた時代であります。小川島を中心とした呼子の捕鯨は隆盛を誇っておりました。

ある年の正月に一人の羽差(はさし:捕鯨でモリを刺す役割)の夢に子連れの鯨が出てきました。鯨は羽差に「明日は弁天島の弁天様に子供を連れてお参りに行こうて思うちょります。どうか、明日だけは見逃してくれんさい。」て言うてお願いしよったと。

朝になって目覚めた羽差は大急ぎで浜に出かけたっちゃけど、もう親子の鯨は弁天島の近くで仲間に仕留められて、海は真っ赤に染まっちょった。羽差は「…偶然じゃろ。偶然じゃろ。」「それにしても変な夢見たもんじゃ。」としっくりこない思いをかかえながら家に戻ったて。

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家に戻った羽差を待っちょったのは胸を突かれた我が子の姿じゃった。モリは梁に頑丈に結び付けられとったはずだったとに。モリを取ろうとして踏み台から落ちたとかも知れん。床は真っ赤に染まっちょった。それからは羽差は昼間でも呑まにゃならんごとなって、ついには子供の名前ば呼びながら我がで命ば捨てたとです。

このことから、鯨組主の中尾甚六が鯨の霊を慰め供養するために廃寺を再建させたのが現在の龍昌院だと語り継がれとります。

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龍昌院の鯨鯢供養塔と弁天島

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民話 親子鯨の弁天様詣り

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